【連載】これからの中小企業のための海外商標戦略シリーズ第6回:【商標戦略=ブランド戦略】ブランドの未来を法的にデザインする
第1回から第5回にかけて、私たちは海外で自社のブランド名を名乗るための「使用権」の確保から始まり、グローバルネーミングの適応、助成金を活用した投資とポートフォリオ構築、他社との共存を図る同意書交渉、そしてカスタマージャーニーを統治するためのライセンス戦略まで、国境を越えるための具体的な知財インフラの作り方を見てきました。
これらはすべて、特許庁や現地の代理人弁護士・弁理士を介して行う「商標の法務・実務」の領域です。そのため、多くの経営者は無意識のうちに「商標戦略とは、法務担当者や弁護士・弁理士が処理する専門的な手続きの集合体である」と捉えがちです。
しかし、この連載の最終回である今回、経営者の皆様に最も深くお伝えしたいことがあります。
商標戦略とは、経営の「羅針盤」そのものである
現代のグローバルビジネスにおいて、「商標戦略」は決して独立した法務手続きではありません。それは、あなたの会社が自らのブランドを世界でどう育て、どう輝かせたいかを描く「ブランド戦略」と全く同じ方向を向く、経営の「羅針盤」そのものなのです。商標戦略は経営戦略そのものであり、これを行えるのは、経営者である皆様だけだということです。日本では「ブランド戦略」が広報宣伝戦略と同種に捉えられることが多く、ブランド戦略の戦略面のみが強調されますが、商標管理が中心の「ブランド管理」が機能しないことには、実は、ブランド戦略は画餅に帰すことが理解されていません。ブランドを広報や宣伝に任せては不十分です。Appleの例を待つまでもなく、強力なブランド戦略には、強力なブランド管理が必要なのです。
ブランド戦略が、商標の「中身」と「行動」を決定する
特許庁へ提出する願書にどのような商標を書き、どの国・地域を指定し、相手方とどのような交渉を行うのか。それらの商標実務におけるすべての選択は、根底にある「自社ブランドの未来図(ブランド戦略)」によって決定されます。ブランド戦略という考え方がしっかりしていなければ、商標という器を正しく形作ることはできません。
具体的に、経営の意思決定がどのように商標戦略へと直結していくのかを見てみましょう。
どのブランドを、どう位置づけるか(ブランド体系とブランド・ポートフォリオ)
会社全体を象徴する「ハウスマーク(コーポレートブランド)」を前面に押し出して世界展開するのか、それとも個別の「プロダクトブランド」ごとに独立した世界観を持たせるのか。あるいは、M&A(企業の合併・買収)によって新しいブランドを自社グループに迎え入れた際、既存のブランドと統合するのか、それとも独立して存続させるのか。この「ブランド・ポートフォリオ」の設計図が定まって初めて、限られた予算の中で「どの商標から優先して出願すべきか」という投資の優先順位が決まります。
どこで権利化するか(出願国とサプライチェーン)
ブランドをどの市場で展開するかという事業戦略が、そのまま商標の「出願国」を決定します。しかし、考慮すべきは販売先(マーケット)だけではありません。部品の調達先、製造を委託するOEM工場の所在地、そして物流の経由地など、グローバルな「サプライチェーン(供給網)」全体を俯瞰し、ブランドの価値が毀損されるリスクのある国を網羅的に保護していく戦略が求められます。
どのように使用権を確保するか(同意書による境界線のデザイン)
第4回で触れたように、海外進出時には先行する似たブランドとの摩擦が必ず起こります。この時、「相手と真っ向から争って排除する」のか、それとも「同意書(コンセント)や共存契約を結び、ターゲット層の違いを明確にして平和的に棲み分ける」のか。この判断は、法的な勝ち負けではなく「自社のブランドが最も上手く、安全に機能する市場の境界線はどこか」というブランド戦略の視点から下されます。
誰に、どのような条件で使わせるか(ライセンスと商流コントロール)
第5回で解説したように、海外の代理店やパートナーに自社ブランドを扱わせる際、商標ライセンス契約を結びます。その際、ブランドの使用料(ロイヤルティ)をいくらに設定するのか、店舗の内装や接客態度に対してどこまで厳格な品質管理(クオリティ・コントロール)を課すのか。これはまさに「世界中の消費者に、どのようなブランド体験(カスタマージャーニー)を提供したいか」という経営の意思そのものです。
デジタル時代の脅威「ネット上の模倣品」と知財インフラ
さらに現代において、商標戦略がブランド戦略の究極のサポートツールとなる最も切実な問題が「模倣品対策」です。
かつて模倣品といえば、海外の路上や怪しげな市場で密かに売られるものでした。しかし現在、越境ECやSNSの普及により、模倣品はデジタル空間を通じて国境を軽々と越え、消費者の手元へ直接届くようになりました。もはや日本国内の市場も、また、通常の一般消費者も、悪意ある海外業者による精巧な模倣品や、ブランド名を騙った詐欺サイトと無縁ではいられません。
消費者が誤って模倣品を買い、その品質の悪さに失望すれば、毀損されるのは「本物のブランドの価値」です。こうしたデジタル空間にはびこる模倣品を迅速に排除し、ブランドの純潔性を守るために不可欠な武器が「商標登録」です。世界の主要なECプラットフォームにおいても、模倣品の出品を強制的に削除させるための絶対条件は、その国で法的に有効な「商標権」を保有していることなのです。中国のECサイトに出品する際には、中国での商標登録証の提示が求められることがあります。商標という知財インフラがなければ、デジタル時代のブランド防衛は成り立ちません。
有形の資産は失っても、ブランド(商標)は永遠に残る
全6回にわたってお届けしてきた本連載の最後に、経営者の皆様へ一つ、確かなことをお伝えします。
企業を経営していく中で、予期せぬ自然災害によって工場や店舗が焼失してしまうことがあるかもしれません。あるいは、不況によって資金繰りが悪化し、在庫や設備を手放さざるを得ない局面が来るかもしれません。企業を取り巻く「有形の資産」は、常に失われるリスクを孕んでいます。
しかし、どれほど過酷な状況に陥ろうとも、これまでの誠実なビジネスを通じて世界中の消費者の心の中に築き上げてきた「信用」と、それを法的な独占権として裏付ける「商標(ブランド)」という無形の資産だけは、簡単になくなることはありません。
法的に守られた確固たるブランド(名前)さえ残っていれば、企業は何度でも、その旗の下に人を集め、資金を集め、事業を再建し、蘇ることができます。「商標戦略」とは、まさにあなたの会社がこの世界に存在し、愛され続けるための「永遠の価値」を、法的に創造する行為なのです。
世界という広大な舞台へ挑む経営者の皆様。どうか、自社に最適な専門家(戦略的伴走者)と共に、強固な知財インフラを構築してください。そして、自らの足元が法的に完璧に守られているという絶対的な安心感の中で、素晴らしいプロダクトのクリエイションと、果敢な事業拡大に思う存分、力を発揮してください。
皆様の生み出すブランドが、国境を越えて世界中で愛され、何十年、何百年と輝き続けることを、心より応援しております。
2026年9月28日 弁理士 西野吉徳