【連載】これからの中小企業のための海外商標戦略シリーズ第1回:【旗を打ち立てる】ブランドの「使用権」=「商標登録」をできるだけ早期に、確実に取得する
事務所のクライアントは、大企業もあるのですが、中小企業やスタートアップからの依頼が多いのが、弊所の特徴です。これまで、ビジネスロイヤーズで、「現代における企業商標管理入門」を6回シリーズで掲載してきていますが、中小企業やスタートアップ向けに、海外商標戦略の要点を連載してみたいと思います。
商標とよく似たものに、ブランドやブランド戦略があります。ブランディングとは、単にロゴを変えることではありません。それは、私たちが世界に対して何を『約束』し、どのような存在でありたいかという「目指す姿」を言語化することから始まります。
海外展開という未知の航海に出る際、その言葉を法的な権利(商標)として固定化することは、自らの「旗」を打ち立てる行為です。その旗こそが、現地の荒波から自社を守るパスポートとなり 、全社員が誇りを持って同じ方向へ進むための道標となります。
デジタル空間のボーダーレスと、法律の属地主義というギャップ
現在、優れたプロダクトと魅力的な世界観を持ったブランドであれば、立ち上げからわずか1年足らずであっても、越境ECやSNSを通じて世界中の顧客に直接商売ができる時代になりました。地球の裏側にいる消費者が、スマートフォンひとつであなたの会社の製品を見つけ、ファンになり、購入ボタンを押してくれます。ビジネスの展開スピードはかつてないほど速く、国境という物理的な壁は限りなく低くなっています。
しかし、デジタル空間がいかにボーダーレスであろうとも、忘れてはならない冷酷な現実があります。それは、ビジネスを統制する「法律」は、極めて厳格に「国ごと」に区切られているという事実です。知的財産の世界ではこれを「属地(ぞくち)主義の原則」と呼びます。
日本国内でどれほど有名なブランドになっても、あるいは日本の特許庁で正式に商標登録を済ませていたとしても、その法的な効力は日本の国境を一歩出た瞬間に消失します。アメリカにはアメリカの、中国には中国の、フランスにはフランスの商標法があり、それぞれの国で個別に権利を取得しなければ、あなたのブランドは法的に「存在しない」のと同じなのです。
海外で自らのブランドを名乗る権利(商標権)を持たずに商品を輸出したり、越境ECで販売したりするということは、いわば「パスポートを持たずに海外旅行に出かけるようなもの」です。最初は問題なく歩き回れていたとしても、ひとたび商標権の横取りや法的な問題に巻き込まれると、たちまち事業自体が危機に陥ります。まずは、世界を相手にする危うさに、経営者として冷静に向き合う必要があります。
自らの「存在を示す」ための商標
知財部という専門部署を持つような大企業の場合、商標管理の目的には、侵害事件への対応もありますが、多くは、「すでに世界中に張り巡らされた膨大な権利を保守・管理し、更新期限ミスなどのリスクを回避すること」になりがちです。それは既存の巨大な利権を守るための、いわば事務的で守備的な手続きのイメージがあります。
しかし、これから海外市場という広大な未開拓地へ打って出る中小企業・起業家にとって、商標は決してそのような事務手続きではありません。それは、自社のブランドを海外の市場で「安全に使用するための権利」を、能動的に獲得していくための「生存戦略」そのものです。
商標権というと「他人の模倣を排除し、訴えるための権利」という攻撃的な側面ばかりが注目されますが、実務において最も重要なのは「自社がその国で、そのブランド名を誰からも文句を言われずに、安全に独占使用できるお墨付き(使用権)である」という点にあります。
もし、進出先の国で現地の悪意ある第三者(商標ブローカー)や、現地の販売代理店にあなたのブランド名が先取りされていればどうなるでしょうか。あなたの商品が現地の税関に到着した途端本来はオリジナルである自らの製品が「模倣品」として差し止められ、処分される危険があります。あるいは、越境ECプラットフォーム(Amazonや現地の主要モールなど)に対して商標権侵害が申し立てられ、ある日突然、販売アカウントが凍結されてしまうこともあるでしょう。
「売上が立ってから商標のことは考えよう」という後回しの姿勢は、現代の情報流通が容易な世界においては命取りです。SNSで少しでも話題になれば、世界中のブローカーがそれを検知し、現地での商標出願を先回りして行います。だからこそ、「できるだけ早期に、確実に」自社の使用権を確保することが、事業の継続を可能にするする絶対的な手段となるのです。
中国などでは1商標1区分、15-20万円で商標権が取得できるものが、もし冒認出願され横取りされてしまうと、その対策経費は少なくとも100-200万円になります。無印良品のように、最高裁まで争うと費用も青天井になります。
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堂々と「®マーク」を掲げる意味を再確認し、誇(ほこ)りの証明と捉える
ブランドの防衛を考えたとき、商標登録と並んで重要なのが「®マーク(Registered Trademark Notice)」です。
近年、大企業の知財担当者や一部の専門家の間で、®マークの使用に関する消極的な議論がなされることがあります。例えば、「ロゴのデザインを少しマイナーチェンジしたり、使用商品が若干変り現在の使用実態にわずかなズレが生じているにもかかわらず®マークをつけると、法律上の『虚偽表示』に該当するリスクがあるため、®マークはむやみにつけるべきではない。®マークよりは、法的に問題のない™表示が望ましい。」といった意見です。
しかし、創業間もない起業家や中小企業の経営者が、このような重箱の隅をつつくような消極論に巻き込まれ、萎縮する必要はありません。自らの製品を法的に保護するため、正当な手続きを経て商標権を取得したのであれば、自社のプロダクトのタグ、パッケージ、Webサイトには、積極的に、そして堂々と®マークを掲げるべきです。
®マークは、単なる法的な記号ではありません。「これは私たちが情熱と責任を持って生み出したオリジナルであり、その国が法的に認めた本物である」という、その国のファンや消費者に向けた絶対的な「品質の約束(ブランド・ギャランティー)」です。同時に、安易な模倣を企む者に対して「我々はこのブランドを法的に守り抜く覚悟がある」と静かに告げる、強烈な防衛の意思表示でもあります。ブランドのアイデンティティを証明するこの小さな®マークを、経営者は最大の誇りを持って活用すべきです。
ソニー盛田昭夫氏の決断とブローバ社
最後に、日本を代表する企業がまだ「中小企業」だった頃の、商標に関する強いエピソードをご紹介します。
1955年、まだ「東京通信工業」という名前だったソニーに、アメリカの時計・ラジオの大手企業であるブローバ社(Bulova Watch Co.)から、トランジスタラジオ10万台という途方もない規模のOEM発注が舞い込みました。当時の東京通信工業の規模からすれば、会社が飛躍的に成長する起爆剤となる、喉から手が出るほど欲しい莫大な現金と売上でした。
しかし、この契約には一つの条件がありました。それは「製品にブローバ社の商標(ブランド名)をつけて売ること」です(いわゆるOEM供給です)。これに対し、創業者の盛田昭夫氏は熟考の末、この超大型契約をキッパリと拒否します。驚くブローバ社の担当者に対し、盛田氏は「50年後、我々の名前はあなたの会社と同じくらい世界で有名になる。だから自社の名前でしか売らない」と断固として告げたのです。
(※ちなみに、ブローバ社は、商標権侵害の「域外適用」を認めたことであまりにも有名な米国最高裁判例「Steele v. Bulova Watch Co.(1952年)」のブローバ社です。彼ら自身も、国境を越えた商標の保護に対して権利主張した有名ブランド企業でした。)
盛田昭夫氏は、有名ブランド企業を相手に、あえて目の前に積まれた莫大な利益を蹴ってでも、「自社のブランド(自分の名前)を世界市場で独立して創り上げる」ことを選んだのです。
まだ世界に知られていない小さな起業家にとって、商標(自らの名前)は、まさにこの「アイデンティティの証明」に他なりません。現代において世界を目指す経営者の皆様にも、デジタル空間のスピードに惑わされることなく、決意を持って、自社のブランドの「使用権」を確固たるものにしていただきたいと願っています。
2026年5月12日 弁理士 西野吉徳